散歩漫歩マンボ · 08日 4月 2024
「あの子、ハンバーグ、食べたことあったのかな?」 元旦と日曜以外、毎朝近所の公園を掃除してくれるお兄さんのセリフだ。 このブログでも、「ステージ出来てます」に登場、コロナ禍から現在まで3年以上、ほぼ毎日顔を合わせ、冗談を言い合う仲だ。...

散歩漫歩マンボ · 29日 11月 2023
6日間の会期中連日天気もよく、写真展、無事終了しました。ご来場の方、ありがとうございました。ギャラリーのある奥野ビルは昭和7年建築の建物で、手動のエレベーターもあり、皆さんには空間も楽しんでいただけたようです。写真展のタイトルは「交感する眼差し」。「視線に感応してシャッターを切る。相手が人のこともあれば、動物や花、ときには壁のシミのときもあるけど、互いの眼差しがシンクロしたとき、空想と現実の狭間で新しい物語が始まるという」という趣旨です。 このタイトルを思いついたきっかけになった写真があります。コロナ前に浅草のサンバカーニバルで人の肩越しに撮った踊り子さんの写真です。私はシャッターを押した後、場所を移動して別の場所で座って写真を撮っていました。するとその踊り子さんが列から離れて近づいて、チェキ(インスタントカメラ)で写真を撮ってくれて、私にその写真をくれたのです。4年以上前ですが、私はこの小さな写真を冷蔵庫の扉に貼っていました。この写真を見て「交感する眼差し」というタイトルを思いついたんです。時間差もあるのに、お互い撮りあった気がして、何か眼差しが交感した気がしました。踊っているときカメラをどこに隠していたのだろうとずっと疑問でしたが、彼女は仲間のチェキを借りて、私を撮ったあと、その人に返していたと、今回初めて知りました。 彼女が撮ってくれた小さな写真を下の方に貼って(しゃがまないと見えない趣向)、その話をネタにして来場者に説明していたんです。すると、私の友人の知り合いが「私、この人知ってる~」と。そして、何人かの人を介してご本人に連絡が付き、最終日、ご本人が来てくれるというメールが届き、びっくり。だけど、あの格好で来るわけでもないし。今度は、その話で盛り上がり、コートを脱いだらあの格好だったりしてとか、メークをとったら誰だかわからないとか、みんな好き勝手な話で、また、盛り上がってしまいました。 最終日、オシャレなカップルが入ってきて、静かに写真を見ていました。他の写真の説明を終え、サンバカーニバルの話をし始めたら、ご主人が「こちらがその本人です」って。そこにいた全員が「え~っ!!」と驚きの声をあげ、「ブラジルの人じゃないんだ」と言う人もいました。ご本人もとても喜んでくださり、私とのツーショットも撮らせてくれました。美人さんで私は引き立て役でしたが、本当に嬉しい瞬間でした。 そして、彼女がチェキで撮ってくれた写真が、みんなの視線が交差していてとてもいいんです。後ろの方の人は踊り子さんが近づいてきて喜んでるし、隣の少女はなぜか私のことを見ている。大きなカメラが気になったのでしょうか。これこそ、「交感する眼差し」だと思いました。人と人が繋がった瞬間でした。 ※踊り子さんの写真や展示風景は悦代フォトライフの中のフォトギャラリーで見ることができます。

散歩漫歩マンボ · 19日 11月 2023
11月20~25日、銀座・奥野ビル3階の「巷房」(中央区銀座1-9-8)で写真展を開催します。タイトルは「交感する眼差し」。見ているつもりが見られている、そんな不思議な感覚を覚えるときがあります。そんなときにシャッターを押すと、自分と被写体が交感し合っているような気になります。眼差しは人や動物だけではなく、花やときには壁のシミのときも。それを楽しみながらぶらぶらしていると、普通の街中に面白いことはいくらでもあることに気づきます。そして、撮り続けることで、季節や街の移ろいが自然と映り込みます。 アップした写真は「あしたのジョー像」で有名な「いろは会商店街」にあった古い家屋の壁に描かれていた落書き。完成度も高く妖しい雰囲気が好きで、頻繁に通って変化していく様子を撮影しました。会場ではこの3年後の写真も並べて展示していますが、顔の一部は剥がれた状態に。そして、今はこの建物は壊され、新しいビルを建てるための工事中で、なんの面影もありません。 二人の人物の眼差しにそれを撮る私の視線が交差する。互いの眼差しがシンクロした時、空想と現実の狭間で、自分の中で新しい物語が始まります。 写真展は4年に一度やってきましたが、コロナのなどの関係で一年遅れで今年に。今後の4年を考えると・・・。ということで、今回は今まで撮ってきた写真の中で、自分の記憶に残る好きな写真をセレクト、30年前の写真もあります。今回一番大きくプリントしたのが、キャベツ畑で収穫する老夫婦と、そのリアカーに乗る孫の写真。くわえ煙草がとてもかっこいい男性がいたので、声をかけて写真を撮らせてもらったのですが、そのとき、リアカーに乗っていた3、4歳の女の子がこちらに向かって微笑んでくれました。すごく嬉しくて、シャッターを押しましたが、その写真が好きで、今回の写真展で一番に展示したいと思いました。大きくプリントして改めて気が付いたのですが、この子の手には鎌が握られています。ということは、彼女も手伝って収穫していたんだ。こんな小さい子が! 自分の影も映り、本当に眼差しが色々なところで交錯し交感していて、好きな写真です。改めて写真を撮ってきてよかったなと思います。 かわいい子供や犬やネコ、怖いネコ、とぼけた亀も登場します。是非、足を運んでいただけたらと思います。よろしくお願いします。

“全面顔出し”で、なぜか記憶の扉が開いた
生活雑思 · 01日 5月 2023
「マスク外した顔が、自分が思っていたより良かったのは十人に一人だった」と、辛口の友人は言い切った。 「確かに! 私も去年、色白で目元涼しげな中年の女性の写真を撮ることがあって、マスクはずしてもらったんだけど、予想してた顔とあまりにギャップがあって・・・。具体的には鼻の下がすごく長くて。人の顔ってバランスなのかもね」...

15日 6月 2022
今年の三社祭りは何もかも異例だった。氏子が実際に神輿を担ぐのは、宮入りと宮出しだけ。それ以外は神輿の下に台車があり、押して移動する仕組みだ。...

人生いろいろ、涙もいろいろ
散歩漫歩マンボ · 02日 5月 2021
あと二週間でプラチナ婚(結婚70年)を迎えるはずだったが、残念ながらかなわなかった。今年の3月、91歳の叔父は一つ年上の妻を見送った。...

散歩漫歩マンボ · 27日 1月 2021
この1年間やり続けていることがある。朝食前1時間、夕食前1時間、雨の日も雪の日も。朝は近くの公園のど真ん中にあるスズカケの木の前で、夕方はライトアップされたスカイツリーを見ながら、隅田川沿いの遊歩道で。ヒップホップの曲を口ずさみながら踊っているのだ。歌舞伎町にあるスポーツクラブに行くのがはばかられ、運動不足解消で始めたのだが、再び通い始めた今も続けている。  6月のある日、望遠レンズを持った男性がスズカケの木のそばにいた。あれ、私の場所なのにと思いながらチラ見していると、彼の関心は隣りの木。その日以来、男性は毎日現われ、三脚にカメラをセットしてレンズを覗いている。日本最小の鷹、ツミの巣があり、ヒナが4羽いるという。毎日顔を合わせるうちに、オスとメスの違いを教えてくれたり、望遠レンズを覗かせてくれたり。巣立つまでの半月、近所の人も加わり、皆でヒナの成長を見守ることになった。途中、オナガに襲われ巣から落下するアクシデントもあったが、近所の人が自宅に無事保護してセーフ。ツミが半月後に巣立ったあとも、「戻ってこないかなぁ」と、皆で空を仰ぎ見た。  夏の終わり、やはりスズカケの木に掃除のお兄さんが。新顔だ。今までのおじさんは阿吽の呼吸で、自分とバッティングしないようにしてくれた。新顔さんは私が踊る場所から掃除を始める。仕事だし、きれいにしてくれるんだから、移動するのは私だよねと場所を変えるが、狭かったり、平らじゃなかったりで塩梅が悪い。数日後、意を決して「すいません、いつもこの木の所で踊ってるんですが、邪魔しないので、ちょっと横でいいですか」と言ったら、どーぞ、どーぞ。それから数日後、満面の笑みを浮かべて「ステージ、用意できてまーす」と言うではないか。木を中心に放射状にきれいに掃き清められていて、まるで京都のお寺の庭みたい。いや~、参った。だって、踊る先から荒らしちゅうんだから。「スイマセン、せっかくきれいにしてくれたのに」。すると「どうせ、ぐちゃぐちゃになっちゃうんだから、心ゆくまで踊って下さい」。以来、5か月間、お言葉に甘えさせてもらっている。  雨や雪の日は、桜橋の下の濡れない場所へ。たまにボイスパーカッションの練習をする若者やホームレスの人とかち合う。空いた場所で踊っていると、後ろにおじさんが無言で立っている。早い者勝ちだもんねと、気にせず踊っていたら、いなくなった。しかし、10分くらいしてまた人の気配。今度は毛布を引きずってきた。さすがにどいた。「ここは俺の場所だ」という無言の圧も感じたしね。  こんな感じで、今までの生活だったら、経験しないようなことにずいぶん出くわした。屋形船が一艘もいない暗い夕暮れの隅田川も初めて見た。その分、ぷかぷか浮かぶ水鳥の姿は多く見るようになった。ささやかなことに気付き、それを楽しむようになった。先日見かけた野良ネコも笑ってみえて、思わず微笑み返した。でも、これは錯覚かもね (悦代)

散歩漫歩マンボ · 25日 11月 2020
 11月初め、突然、耳鳴りが始まった。夜、布団に入ったとたん、ピーピーと電子音のような音が鳴り響くのだ。何かの機器が鳴ってるのかと探すが見当たらず、鳴っているのは自分の耳の中だ。昼間の音が耳に残っているのだろうと自分に言い聞かせたが、日に日にひどくなり、眠れない夜が数日続いた。それで、近くの耳鼻科に行った。数年前に声が出なくなり、駆け込んで以来だ。筆談で「神輿を大声で担いだせいで」と訴えたら「三社が終ってずいぶん経つじゃない。若い子だって、翌々日までには来るのに、遅い!」と怒られた。そして、喉を見ての開口一番「あらあら、声帯が痩せちゃって。もうコラーゲンを作れない年なのよねぇ」とにかく、辛口の女医さんなのだ。   そして今回。耳鳴りがすると言ったら、「脳に問題があることもあるからね・・」。ビビった私の耳を覗きながら「うわ~、なにこれ。すごい耳垢、それも右だけ。掃除してる?」「あんまり。耳かきはダメって聞いたので」「誰が言ったの?」「TVで」「限度っていうものがあるでしょ」またまた、怒られた。そして、取り除いた大きな耳垢を私に見せながら、耳鳴りと耳垢は関係ないと思うよとおっしゃる。次に聞こえの検査をやった。ヘッドホーンをして音が鳴ったらボタンを押すのだが、言われたとおりにやったら「早押しクイズじゃないんだから、もっと、ゆっくり」。自分もせっかちだが、女医さんの物言いもかなりストレート。たぶん、浅草生まれだろう。検査の結果は問題なく、「やっぱり、耳垢ね、原因は」え~、さっき関係ないって言ったじゃない。そして、最後、とどめを刺すように「検査のデータはとっておいてね。これが基準になるから。どんどん耳は遠くなるわよ~」  ところが、耳鳴りはこれで治まらなかった。そこで、最近飲み始めた薬をやめてみた。調べたら副作用に耳鳴りがあったから。血液をサラサラにするEPAだ。血管を強くしておくといいよ、青魚を食べるのと同じだからと主治医が出してくれたのだ。認知症の予防にもなるらしい。その薬をやめたとたん耳鳴りはピタッとやんだ。  母が生前よく言っていたことを思い出した。「体は弱っても、耳だけは最後までよく聞こえるそうよ。だから、聞こえないと思って、お年寄りや病人のそばで余計なこと言っちゃダメよ」。耳が遠くなっているのに、こそこそ話とか悪口だけはよく聞こえるらしい。なのに都合の悪いことは全然聞こえない。耳だけに奥が深い、不思議な話だ。ちなみに、認知症もあなどれないので、1週間ほど前からまたEPAを飲み始めたが、耳鳴りはしない。結局原因は分からずじまい。治まっただけで御の字だけど、耳鳴りと認知症、どちらを防ぐべきか、真剣に悩んだ1週間だった。(悦代)。

散歩漫歩マンボ · 10日 10月 2020
 台風が近づき、雨が強く降る朝、散歩に出た。雨の日はキンモクセイの香りが匂いたつからだ。強い雨で花が地面にハラハラと散っている。なんと美しいこと。風流な気分で、毎朝通う待乳山聖天様へ。ふもとにある公園を通って本堂に向かうのだが、その公園に足を踏み入れた途端、イチョウの木の下に目が釘付けに。茶色の土が見えないくらい、銀杏に覆いつくされているのだ。ここで風流な気分は吹っ飛び、葛藤が始まった。「今年こそ、銀杏は拾わない」と、心に決めていたから。  毎年、たくさん拾ってきては、その匂いに、そして処理の面臭さに辟易していた。マスク、手袋をして、皮を洗い流すのだが、あの強烈な匂いは衣類にしみ込み、家中に蔓延、そして何日も残る。その挙句、乾燥が下手なせいか、炒っても爆ぜてくれず、半分は捨てることになる。この繰り返しを何度やってきたことか。「今年こそやめる」と、数日前に夫に宣言したばかりだ。  それなのに、数えきれないくらい多くの、そしてまっさらできれいな銀杏を目にした途端、興奮してしまった。というのも、こんなにきれいな状態を見たことがなかったから。今までは、だいたい人に拾われていて、その拾い残しというか、おこぼれというか、そういうものを拾っていた。それが、今回は「どーぞ拾ってください」とばかりに、目の前に現れたのである。しかし、待てよ、まずはお参りだ。私はお参りに来たのだからと、心を落ち着かせ、銀杏に心を残しながらを本堂に向かう。そして、5円玉をチリンと投げ、いつものように、色々、お願いをする。家族一人一人の名前を心の中で言って(この世にいる人だけでなく、上にいる人も)、「皆が元気でありますように」そして、膝が痛かったけど治りましたとか、そんな報告をする。たった5円でとにかくいっぱい。でも、この間にも誰かに拾われちゃうじゃないかしらと、気になって仕方がない。心ここにあらず、これって聖天様に怒られるよねなんて考えながら、手を合わせている。あ~、なんてことか、人間が出来ていない。  というのも、自分がもう30年も聖天様に通っているのは、地元だということもあるけど、この聖天様の信仰に心動かされたからだ。その信仰というのが「欲癒祈祷」。簡単に言うと、「欲を捨てろ」ということ。この考えを最初に聞いた時、いいなぁ、かっこいいなぁと、素敵だなあ思って惚れ込んで通っているというのに。ところがどうだ、銀杏ひとつ諦められない。結局いつも通り、お祈りをしてあの場所へ戻ったら、雨が強いせいもあってか、誰にも拾われず、ますます銀杏の数が増えている。ポケットに小さなビニール袋があったので、それで拾い始めると、傘の上にもボコボコと落ちてくる。嬉しそうに拾う自分をもう一人の私が笑ってる。次の人にも残しておこうと思いながらも、大きい銀杏につい手が延びてしまい、結局山ほど拾ってしまった。まだまだだなぁ私。毎年、試される秋である(悦代)。 

散歩漫歩マンボ · 23日 8月 2020
 今年の夏、夫以外で一番顔を合わせたのはセミである。朝はミンミンの鳴き声で覚醒し、夕にはアブラゼミに近づきすぎて、おしっこをひっかけられたりしている。セミの抜け殻の写真もよく撮る。同じように見えるが、ひとつひとつ違う。特に違うのが目。正確にいうと脱皮したあとの目を覆っていた膜だが、透明なもの、濁ったものと色々だが、どれもウルトラマンに出てくる怪獣の目みたいで、面白い。  こんなにもセミ好きになったのは、数年前にアブラゼミの脱皮を見てから。夕方の散歩中、知り合いのおじさんが孫とセミとりをしていて、「これ、羽化直前の幼虫。一晩カーテンにつかまらせておくと、朝、成虫になってるよ」と、1匹くれたのである。よくわからないけどやってみるか。そして、その晩の出来事は、本当に忘れがたい思い出になった。  茶色の殻がパカっと割れて、中から這い出てくるんだげと、バック転のようにのけぞって、頭から出てくるのだ。要するに天地が逆さまの状態。とにかく、その顔がかわいい。目はクリクリとした黒目で、体の色は透明で白っぽく、目の横にはダンボの耳ようなものがある。実はこれは羽になる部分。その後、のけぞった体を戻しながら(すごい腹筋?)、羽を少しず開いてセミの形に。最初に顔を出してから約20分後、きれいな黄緑色の羽をしたセミが殻の上に覆いかぶさっていた。徐々に体全体が黒ずんできたが、ここで就寝。翌朝みたら完全に普通のセミになっていて、窓を開けて、「元気でね~」と解き放ったのである。とにかく、神秘的な出来事だった。  アブラゼミは6年も土の中にいて、一生のうちで4回脱皮するという。自分が見たのは成虫になる前の最後の脱皮だったわけだが、せっかく、地中に出ても1~2週間の命と言われている。環境が整えば1か月という説もあるけど、どちらにしても地上の時間は短い。その限られた時間に子孫を残すという役割が課せられている。成虫のときにしか卵を産むことが出来ないからだ。交尾が終った雌は枯れ木に産卵管を差し込んで産卵する。雄と雌の出会いは雄が鳴くことから始まる。雄の腹腔内には音を出す発音筋があり、1秒に2万回も振動、さらに音を大きくする共鳴室まである。あんな小さな体なのに、すごい音量で、なんかやけになって鳴いてるような気がしていたけど、求愛だったのね~。  セミの一生は儚さの象徴みたいに言われるけど、あの脱皮を見てからそう思わなくなった。暗い土の中で色々な準備をして明るい世界へ。そして、子孫を残して夏の終わりに死んでいく。自分の一生をちゃんと全うしていて潔い。それにしても、あの顔は私には笑ってみえた。天地逆さまだけど、初めて明るい世界が目に飛び込んできたのだから、嬉しいに決まってる。私もバック転しながら、羽を伸ばしてみたい。(悦代)

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