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人生いろいろ、涙もいろいろ

 あと二週間でプラチナ婚(結婚70年)を迎えるはずだったが、残念ながらかなわなかった。今年の3月、91歳の叔父は一つ年上の妻を見送った。

 花入れの儀式が終わろうとしたとき、「お父さん、最後に花を入れたら」と娘が声をかけると、一歩前に出て叔母の顔に手を添えながら、「花はここにあるから、もういい」。そして、お棺の蓋を閉める直前、叔父は小声ながらきっぱりと「さよなら」と言った。その顔に涙はなかった。かわりに周りの者たちのすすり泣く声がきこえる。横にいた従弟も嗚咽しているし、私も涙が止まらなかった。

 涙の種類はいろいろ、嬉し泣き、悔し泣き、もらい泣き・・・。しかし、本当に悲しいときには、涙は出ないのではないか。なんて、色々考えていたら、叔父の姉である私の母の涙を思い出した。母が泣いたのをほとんど見たことがない。笑顔は思い出すが、泣顔は思い出せない。

 自然の中で穏やかな老後を過ごしたいと、60過ぎてから東京から三浦半島に引っ越したが、2年で父が他界、その後、見ず知らずの土地で、20年以上一人で暮らした。それでも、子供や孫が遊びに来るのを楽しみにしながら、のんびりと暮らしていた(ように見えた)。が、進行性の胃がんが見つかり、手術をしたものの、手の施しようがなかった。

 その後、海の見える医療付きの老人ホームに入居した。それから、3か月間、できるだけ付き添うようにしたが、あと1日もつかどうかというときに、仕事で東京に戻ることに。姉にバトンタッチをして、部屋を後にした。翌朝5時に姉から電話があり、血圧が下がって、もう時間の問題だという。仕事を終えて急いで向かっても、午後になってしまう、たぶん間に合わないので、よろしくねと姉に伝えた。

 

 昼過ぎ、覚悟して部屋の前まで行くと、中から「頑張って、頑張って」「もうすぐ来るから」と大きな声が聞こえる。ベッドの周りに姉やスタッフの人たちがいて、母に声をかけている。これ、朝から半日やってくれてたわけ? 夫は、もうこれ以上頑張らなくていいと思い、声をかけられなかったという。私は母のベッドサイドにしゃがみ「ただいま、今、浅草から戻ったよ。お豆腐屋さんの取材、面白かったよ」と、耳元でささやいた。すると、母の左目からつつつ~と、一粒の涙が流れた。 息を引き取ったのは、それから数分後だった。 あの涙は何だったのか。亡くなる直前にどのような感情が湧いたのか。末娘の声を聞いて安心したのか、それとも現世への名残り惜しさなのか・・・。生命が終わろうとしているときの脳の状態は、想像できないが、何かしら心の動きがあったのだろう。涙が流れた瞬間を見たのは、たぶん私ひとりだ。もう10年も前のことだが、その光景は鮮明に脳裏に焼き付いている。そして、母の一粒の涙は、私の思い出の中では、きらきらと光って美しい。(悦代)

コメント: 9
  • #9

    木村 (月曜日, 14 6月 2021 23:51)

    悲しいことですが、尊くて素敵なお別れだなと思いました。顔に手を添えて…愛ですね、本当に素敵です。
    お母さまは、家族に見守られて、伊東さんの声を聞けて、幸せな気持ちになったのではないでしょうか。そんなあたたかい涙な気がします。
    キラキラ雫とやわらかな緑の写真は、清らかで尊くて、このお話のようですね。

  • #8

    崎谷未央 (月曜日, 24 5月 2021 16:26)

    感動的な話ですね。私は、母親の死にも父親の死にも立ち会えませんでした。父親の時は、病院にいたのに…です。看護婦さんが「身体を拭きますからちょっと外してください」といったので、少しだけ残っていた校正確認のために抜けました。

    そして、施設に校正を送ってもらえるように催促している間に、父親はいってしまいました。施設に電話確認している間に、姉から電話がかかってきて、「パパが亡くなったって言っているけど」と言われ、最初、意味が分かりませんでした。戻ってみると、父親はなくなっていました。

    正直、なんてくだらないことのために…と思って、くやしかったです。でも、いとこもちょっとの間に叔父がなくなり、死に目にあえなかったのだそうです。それで、いとこと、死顔をみせたくなかったんだねと話しました。

    そんなエピソードを振り返るきっかけを与えてくださり、ありがとうございます!

  • #7

    イカさま (金曜日, 07 5月 2021 12:47)

    私、悲しいことや辛いことにとっても弱いので、ブログ読み終わってもすぐにはコメント書けませんでした。辛いことを美しく表現できて、それを素敵な思い出に出来る伊東ちゃんは相変わらず、とても素敵です。
    コロナもあって、このノーテンキは私でも死について考えるようになりました。周りに素敵な思い出になるような死に方をしたいと思います。
    いつもありがとうございます。

  • #6

    hayata (木曜日, 06 5月 2021 22:43)

    深くていい話ですね。本当に安心されたのかもしれませんね。
    写真もきらきらして素敵です。
    フォトギャラリーには、樹や電柱の影や自転車や水。光が満ち溢れていますね。
    今年も生命を感じるいい季節になりました。
    コロナウイルスも生命といえば生命ですが、
    こちらは何とか早く収まってほしいです。

  • #5

    Kyoko (水曜日, 05 5月 2021 23:20)

    涙に関して、コメント多いですね。文章も良かったけど、それに付けた写真も、葉っぱの水滴が涙みたいで素敵でした。どんな時に、どんな涙がながれるのか、人によっても、いろいろあるのでしょうね。私は、小さい時から泣き虫で、今でもすぐ涙がこぼれてしまいます。一生の涙の量は勝てるかも。勝ってもしょうがないけど・・・。

  • #4

    平林 (水曜日, 05 5月 2021 14:09)

    悲しいけど、素敵な話ですね。文章上手いね。
    私は3年前に100歳の実母、2年前に94歳の義父、昨年78歳の実兄を亡くしました。兄の時を除き、旅立つ瞬間に立ち会いましたが、涙は出ませんでした。覚悟をしていたこと、葬儀の仕切りを考え、脳が事務的に働いていたことが原因のような気がします。自分にもその時に確実に近づいている実感がありますが、コロナなんかにやられたくありません。みんなで自粛しましょう。

  • #3

    深川 和郎 (水曜日, 05 5月 2021 06:29)

    うまく言えませんが、涙は本当に大事な場面でしか出ないものだと感じます。
    連続テレビ小説の最終回で涙流しているのは私くらいかな?
    それは本当の涙ではありません。
    今まで涙を流さなかったお母さんの涙はダイアモンドのように本当に価値のある涙なんだなあと感じました。
    真の心から出たお母さんの涙は永遠に光っていることでしょう。
    心は永遠なものだから。

  • #2

    マリリン (火曜日, 04 5月 2021 11:56)

    ご家族のドラマを見ているようでした。きっと、お母さん、悦ちゃんが来るまでがんばっていたのだと思います。悦ちゃんに会えることを待っていたのではないでしょうか?お母さんの涙、そのたった一粒の涙で、お母さんとのすべての思い出が甦ってくる・・・。心の通い合いを感じます。

  • #1

    ふみこ (月曜日, 03 5月 2021 15:18)

    いつもニコニコしていて、でも背筋ピンで凛としていた下町の女性

    えっちゃんの声は届いて、安心したんだね