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声が聞こえたのなら。

「あの子、ハンバーグ、食べたことあったのかな?」

元旦と日曜以外、毎朝近所の公園を掃除してくれるお兄さんのセリフだ。

このブログでも、「ステージ出来てます」に登場、コロナ禍から現在まで3年以上、ほぼ毎日顔を合わせ、冗談を言い合う仲だ。

 

 バレンタインデーの日だった。その公園そばのビルの前に報道陣が集まり、何やら不穏な雰囲気。通行人は皆、足を止め、いつの間にか野次馬の人だかり。誰かがビルから出てくるのをカメラマンが狙っている。散歩帰りの私はお兄さんと一緒に軽い気持ちで眺めていた。段ボールを持った人が出てきたので、脱税の家宅捜索?。だが、30分近く経っても状況は変わらず、結局、その場を離れた。事件を知ったのは数時間後のTVのニュースだった。ビルの中から中年の男女が出てくる様子が映し出され、そのニュースは連日報道された。

 

 その日から10日程経ち、取材陣の姿もなくなり、いつも通りの朝、お兄さんは「昨日、昼にハンバーグ食ってて、ふと、あの子食べたことあったのかなって、思っちゃったんだよね」とビル近くの公園の雑草を抜きながら言った。「4歳だったらしいけど、俺ここに来て3年経つけど、近くにいたんだよな」。 

 さらにそれから2週間ほど経った朝、「今日、何の日か知ってる?」ときかれた。「3月13日でしょ、何?」。「一年前なんだよね、亡くなったの。一周忌って、何すんのかな?」「普通、お坊さんにお経あげてもらうけど・・・、お供えかな?」こちらも、なんだかあやふやな返事。すると、彼は、「じゃ、果物でも買ってお供えして、そのあと、自分で食うか」と言った。何か引っ張られ過ぎじゃない?と言ったら、「だって、自分が草むしりしてるあんなそばで、こんなことがあってさ。たった、4年しか生きてないんだよ」と強い口調で言った。あの子の叫びに何で気づかなかったんだろうと、自分を責めているように聞こえた。両親が4歳の女の子を殺したという衝撃的な事件だった。朝の騒動からひと月経ち、TVでもネットでもその話題を目にすることはなくなっていた。

 

 丁度そのころ、買い物の帰り、自転車をこいでいた。何かの気配を感じ、その方向を見たら、道の向かい側の街路樹が目に入った。よく通る道だが、その街路樹を気にしたのは初めてだ。何か異様な感じ。近づいてよく見たら、頭に黄色いハチマキ、目の上にはタンコブ、下唇が突き出ている。どう見ても人の顔だ。興奮して写真を撮る自分のそばを、多くの通行人が通り過ぎる。だが、私のように木を気にしてる人は一人もいない。立ち去ろうとすると、何か後ろ髪を魅かれ、また戻ってシャッターを切る。何十枚も撮って帰路に着くとき、何か声が聞こえたような。数日後、またそこを通ったら・・・。

 切株さえなく穴があるだけで、工事現場用のフェンスが置かれていた。「あのハチマキ、切るための目印だったんだ」と気づくまで、時間がかかった。もちろん声が聞こえたのは気のせいだが、お兄さんの「あの子の声に気づいてやれたら」という思いと重なる気がした。といっても、私の場合は木の声が聞こえたところで、どうしようもないんだけど。「もし」はないのだが、「もし」という思いは人の心の中をうつろに駆け巡る。でも、見ず知らずの人でも、その子のことを思う人がいてよかったとなと思う。そして、あらためて彼女の冥福を祈った。(悦代)

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コメント: 17
  • #1

    Kyoko (月曜日, 08 4月 2024 20:19)

    毎日をせわしなく生活していて、じっと耳を傾けることをしなくなっていると思います。また、個人主義のはき違いか、人に無関心になっているかも。
    特に、子供に関しては、近所のみんなで育てていくって大切だよね。古い考えなのかなぁ。

  • #2

    かおり (月曜日, 08 4月 2024 22:11)

    近くにいたのに、何もできなかった。
    元旦には帰省先の北陸で似たような思いをしました。
    なんだか訴えかけてくるような木ですね。声にならない声が聞こえてくる気がします。

  • #3

    rioken (月曜日, 08 4月 2024 22:20)

    もう1ヶ月以上経つのですね。
    当時はとっても衝撃的な事件で少なからずショックを受けていたはずなのに、気付いたら全然忘れてしまっていました。
    お兄さんは忘れず心に刻んでいてすごいなぁ。

    毎日自分の事にかまけていて、周囲のちょっとした変化等に全く気付けていない事を反省しました。もっと目配り気配りの人にならねば。

  • #4

    MIKI (火曜日, 09 4月 2024 15:14)

    悲しい事件に耳を塞ぎたくなりました。生きては声をあげられなかったけど、確実に彼女を思ってくれる人たちが今ここにいると思うと、少しは救われていると思いたいです。
    またこの木も長い年月をそこで色々な思いできっと過ごしていたんですよね。そして最後は悦代さんに気付いてもらえて何かを訴えられたのではないでしょうか。

  • #5

    HAYATA (火曜日, 09 4月 2024 16:00)

    近年ほんとに暗いニュースが多いです。
    公園のお兄さんとは毎日言葉を交わす仲ですか。
    こちらはほのぼのとしていい話。
    お兄さん、優しいんですね。

  • #6

    ふみこ (火曜日, 09 4月 2024 16:43)

    いろいろ重すぎてすぐにコメントできなかった…

    近くの人に叫んでも届かない声が、後になって誰かに届いても…戻ることのない時間は、時に非情だね

  • #7

    マリリン (火曜日, 09 4月 2024 19:41)

    とても切なくなる事件でしたね。
    お兄さんと伊東さんの会話がリアルに聞こえてくるようでした。

    「もし」はないのだが、「もし」という思いは人の心の中をうつろに駆け巡る。
    周囲の人に対する姿勢でも、自分自身に対しても、生きているって、常に判断の連続で、時にその振り返りに様々な思いが浮かんできますよね。

    伊東さんのブログを読ませていただくと、いつも自分自身と対話ができます。自分自身では、普段の生活ではあまり意識していないことにも・・・。

  • #8

    AKKO (水曜日, 10 4月 2024 20:41)

    またお兄さんとのホッコリかと思ったら辛いお話で胸が痛くなりました。
    最近はホントに嫌なニュースが多くて人類は進歩したのか…?
    ドラマを見ていて、昭和の方が良かったかもなんて思ったり…。
    あの木に聞いてみたかったです。

  • #9

    Yoshioka (木曜日, 11 4月 2024 09:51)

    ブログ教えてくださってありがとうございます。あの道、毎日通っていたのでびっくりだったんです。まさかこんなところで。
    引っ越してきたばかりのころ、スーパーでおばあさんが「ここの○○はおいしいのよねえ」と何気なく話しかけてくれたのがやけにうれしかったのを思い出しました。他人同士の住む街、まなざしを言葉を交わすことのかけがえのなさですね。

  • #10

    エミ (木曜日, 11 4月 2024 10:23)

    在米ですが、毎朝Fuji TVのニュースを見ています。
    とても心痛むニュースでした。

    木の精霊が思い出して欲しいっていう声を伝えたのかな。
    思い出してくれて喜んでる!
    木も最期の姿を心だけじゃなくて写真で刻んで貰えて喜んでる!

    そんな気がしました。

  • #11

    弘美 (木曜日, 11 4月 2024 10:53)

    私も、あの子の顔に見えます。
    それも切り取られてしまったんですね�
    心傷つく事件、お兄さんは優しい方ですね!
    私も思いを寄せる事で、少しでも供養になれば…

  • #12

    ニッキ (金曜日, 12 4月 2024)

    何か訴えているかのような顔の木、切られてしまった。根こそぎなくなったのかしら?ハチマキの下残っているのかしら?もし残っていたら、芽が出てくるかも?新しい命、未来の姿に思いを馳せたい。

  • #13

    とも吉 (金曜日, 12 4月 2024 23:02)

    ブログを読み、彼方にあった記憶の箱が戻ってきたかのよう。

    落ち葉のステージを作ってくれるお兄さんは、人を思うことができる人なんだなと。
    胸にしまい込んでおくには辛い気持ちを、悦代さんに話せてよかった。
    亡くなった女の子も、こんな風に思ってくれる人がいることで、あの世で、少しはなぐさめられているのかな。

    木の存在感。
    街路樹として、街の様子を見守ってきた誇りと、切られてしまう悲しさと。こんな風に、今はもう切られて跡形のない木の話に、耳を傾けたくなる。そして、もう一度立ち止まり、亡くなった女の子のことにも思いを馳せる。

    お兄さんと、女の子と、木が共鳴し合うのを、悦代さんの感受性がうけとめたんだなと。
    悦代さんが見つけた木でもあり、木が悦代さんを見つけたのだなと。

    そんな風に感じています。

  • #14

    terry (日曜日, 14 4月 2024 09:45)

    日常 後から考えてもどうにもならない「もし」の繰り返しで 私もよく一喜一憂してしまいます
    声なき声を思い 感じたお兄さんや悦代さん
    亡くなられた彼女や街路樹も少し救われたのではと 悲しくもホッとしました
    そんな声なき声を感じられるような心のゆとりを持って 自分も日々過ごしていきたいです

  • #15

    深川 和郎 (月曜日, 15 4月 2024 20:03)

    世の中色々な事件が起こるなかでこの木の存在感は捨てがたいですね。
    木は生き物であり目はありませんが心で事実を目撃していたかもしれないですね。
    世の中は人間だけではなくさまざまな生態系から成り立っていることを考えるとなおさら木の存在感は大きいです。
    胸が痛むこと半分、物事の見方が変わるメッセージだと感じました。
    少女の御冥福をお祈りいたします。

  • #16

    Umezo (月曜日, 15 4月 2024 21:14)

    本当に痛ましい、あってはならない事件でした。
    4歳の子は残念ながら亡くなってしまったけど、いまでもその声を感じることのできるお兄さんの優しさに心が救われます。
    そして切られる直前の木の声を聞いた悦代さんの感受性にも。
    世界中から発せられる無数のSOSの声、すべてを受け取ることはできないまでも、せめて鈍感にはなりたくないと思います。

  • #17

    chie (金曜日, 19 4月 2024 16:45)

    お兄さんの言葉。思ったことをちゃんと声にする事の大切さを感じました。人はそれを聞いてそのまま終わるかも知らないけど、なにか心に残りそれが、この木を通してまた心がふと動く。お話出来ることは素晴らしいことですね。しかしこの木のあっかんべーはいたずらっ子全開でかわいいですね!