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三社さま、教えてください。

三社祭は毎年5月の第3週に開催される。今年は10月に延期されたが、本来行われるべき週末になったら、お囃子は聞こえてこないのに、初夏の陽気に体が反応して血が騒いでしまう。生れた時からの祭りというのは、体に染みついているのだなと思いながら、三社様(浅草神社)に出かけてみた。神輿が飾られてるのではないかと期待したが、神輿蔵は閉ざされ、鍵がかかっていた。が、大扉に描かれた三社祭の印がかっこいい。今までさんざん見てきたが、こんな美しいと思ったのは初めてだ。

去年は二ノ宮の宮入の神輿を担いだ。宮出、宮入は町会の持ち回りで、前回は20年程前だった。その時は、浅草寺の裏手から入ってすぐのところで、最後の担ぎ手にバトンタッチ、町内の担ぎ手はお宮の前までは担げなかった。今回もそうだろうと思っていた。私の前後は女性で、どちらも担ぎなれているから、歩調が合い、気持ちがいい。「いつでも、かわるよ~」と、担ぎたくて仕方のない男たちがすぐ横にはりついて呟くが、「うるせ~、かわるもんか」と、威勢のいい声をあげる。女は出ろっと、引っ張り出される人も多かったが、私たちの横には町会の青年部の若者がいて守ってくれた。前回バトンタッチした辺りを目標に、とにかく、あそこまでだと歯を食いしばる。が、次の担ぎ手たちが待っている気配がない。本宮は本当に重い。もう限界だ、だけど、いまかわるわけにはいかない!の繰り返えし。え、どこまで、もうダメだ、なんて思いながら、とうとう、お宮の前へ。担ぎ切ったのだ。神輿の担ぎ棒から肩を外し、台に神輿を置いた瞬間、周りから喜びと安堵の声が湧き上がる。みんな興奮していたが、自分の体を包んだのは静かな喜びだった。神輿を担いでいるときは、何かに守られているような安心感に包まれる。

去年は肉体的につらかった分、やり遂げた満足感は大きかったが、それ以上に敬虔な気持ちになった。キツイ、シンドイと思っているんだけど、一方で神様が近くにいる喜びみたいなものがあって、何とか持ちこたえたとき、すごい快感を味わった。これって、今に当てはまるところが少しはあるんじゃないかしら? 三社さま、どうですか、教えてください。(悦代)

 

コメント: 4
  • #4

    深川 和郎 (日曜日, 14 6月 2020 10:32)

    私は浅草の近くに住んで25年以上になりますが、やはり祭りはいいですね。
    何かを我慢したり苦しい思いをして成し遂げた時「神様ありがとう!」と心で叫ぶのは
    何をしていても同じような気がします。
    私事ながら年明けに勝浦にサイクリングに行った時同じ言葉を叫びました。
    いつも近くに神様はいますね。

  • #3

    マリリン (木曜日, 11 6月 2020 11:22)

    神輿蔵の大扉に描かれた三社祭の印、美しいですね。思わず、うっとり見とれてしまいました。日本らしさ全開のロゴ?ですね。コロナ禍の中で、私自身も新しく考えさせられることがありました。今の自分、周囲の人のこと、これからのこと。コロナがなかったら、気が付くことはなかっただろうなあと思います。それにしても、悦代様、パワフル!!!私も、悦代様の何分の一かのエネルギーを蓄えなくっちゃ!!!そう思う今日この頃でした。

  • #2

    chie (金曜日, 22 5月 2020 16:35)

    今だからこそ見えるもの。いつも当たり前のように見てきたものが
    「こんな美しいと思ったのは初めてだ」と。鏡のように自分の心が映し出されたのかな。。
    そぎ落とされた自分の心が。本物を見る目みたいな。
    今まで当たり前のことが当たり前ではなくなった今。当たり前って本当に幸せなことだったんだなと改めて思いました。それと同時に当たり前に甘んじてたところもあったと反省。。しかし神様に問えるってとっても素敵なことですね。身近に三社さまがいらっしゃる土地。とっても豊かな生活がじんわりと伝わってきました。三社さまわたしも10月にお会い出来たら大変嬉しいです。大扉のお写真。ニコっと笑顔のようでこちらもニコっとしちゃいました!

  • #1

    遊幾 (土曜日, 16 5月 2020 16:56)

    こんにちは!お気持ちよくわかります。渡御のときは本当に重いし汗臭いししんどいけど、”神様を担いでいる”と思うと不思議な力が湧いてくる…やっぱり神輿が持つ力かなぁ、と思います。
    以前作った都々逸を送ります→「千貫神輿の掛け声のせて 空へ突き上げてく拳」(遊幾)